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海外で活躍する日本人: TalentEx代表 越 陽二郎さん (1)

現在タイやロシアを中心にHR事業を手掛けるTalentExのCEO越陽二郎さんにお話を伺ってきました。幼少期をアメリカと日本を往復しながら帰国子女として育った越さん。海外起業で一番難しいこと、帰国子女でありながらビジネス英語でも苦労されたお話、英語が通じない非英語圏で身につけた効果的な現地語の学習方法、今後の言語の使われ方について、興味深いお話が聞くことができました。

第1回目は、海外起業のお話をご紹介します。

第2回「英語、言語の学習方法」

第3回「今後の言語の使われ方」

【越 陽二郎さん プロフィール】

1984年生まれ。幼少期をアメリカで過ごす​。
2003年 東京学芸大附属高校卒業
2008年 東京大学 (社会心理学)卒業
2009年 日本能率協会コンサルティング入社
2011年 Mediba /Nobot(KDDI)入社
2013年 TalentEx 創業​
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海外起業

東南アジアで起業するうえで、一番難しいこと

– 現在の事業内容の説明を簡単にお願いします。

平たく言うと HR 人事関係のITサービスをしている会社です。IT業界向けの求人サイト、日本語の話せるタイ人向けの求人サイト、給与管理のクラウドサービスをタイで展開しているというのがメインです。最近、3か月前にロシアに会社を作って、ロシア人のITエンジニアを就職支援する事業も始めています。

– なぜロシア?

タイをはじめ東南アジアの多くの国でエンジニアが強くないためです。今求められているITエンジニア、プログラマーやデータサイエンティストなどといった部分に関しては、特にタイは残念ながら強くありません。ベトナムなどに行けば人数もいて、実際にベトナム人のITのエンジニアで日本語もできる人を日本に就職支援している会社さんは結構あります。それはそれで一つ事業としてあるなぁと思うんですけども、そこだけでは日本側にとっては全然足りません。

スマホやウェブなど、ディベロッパーのエンジニアは結構いるんですが、例えば機械学習のAIの技術のエンジニアだとか、データサイエンティストの経験を持った人材というのは、ほぼ見つかりません。バングラディシュやインド方面に行っても、アメリカ本国に行っちゃうようなトップクラスの人を除いてほとんどいません。これは、5年、10年経って、出て来る頃には日本も次のフェーズに入って、きっと追いつかないだろうなと感じました。やっぱり、暖かいところ(国)ではそういう人材というのはなかなか育たないなと、僕は思っていて。

– 南国ではなかなか人を育てるのは大変なのですね。

じゃあどうしたらいいのだろうと考えた時に、ロシアはもともと、なんとなく国として興味はあったんですけども、ぜんぜん事業ができるイメージはなかったんですね。しかし行ってみたら、「めちゃくちゃエンジニアいるじゃないか!」と。調べてみたら、ユネスコのデータなどで、エンジニアの輩出数世界一というのを読んで、これはすごいなと。日本語学校の先生とかと話してみると、「IT のエンジニア来ていますよ」とか。エンジニアの人と話すと、「私ちょっと日本語勉強したことあります」とか、「すごく日本好きです」みたいな。えぇ~!どうして!?となって。東南アジアの方が日本語を勉強している理由として、アニメや漫画などポップカルチャーが好きというのがありますが、もちろんロシアでもそういう方はいます。ロシアは世界一のコスプレ大国でもありますし。ただ、エンジニアの方で日本語を勉強したきっかけが、「村上春樹が好きだから」とか、「日本の文学を読んで感動したから、それを原文で読みたくて勉強しました」みたいな人がいて、さすが文学と哲学の国だなと感じましたね。

そこで、もしかして日本に働きに来たいロシアのエンジニアの方も結構いるんじゃないかなと思いまして。もちろん、N1、N2レベルの日本語がバリバリ喋れないと働けません、という会社ばかりだったら難しいと思います。ただ、特にITエンジニア周りに関しては、こういうのに興味があるって言ってくれる会社さんが結構あったんです。既にエンジニアの半分くらいは外国人ですとか、セキュリティをやっている会社なんだけど、社長以外は全員ロシア人です、というような会社さんもいて。ロボティクスAI関係とかは特に、日本文化じゃなくて我々新しい世代として、年功序列もなく経営しているところは結構あるんです。さらにロシアは、日本人はビザを取らないと入国できない珍しい国なので単純に情報が少ないですし、それにモスクワまで10時間かかるので、ビジネスしに行こうっていう人はそう多くはないんですよね。なので、結構知られてなかったマーケットだなというのもあって、面白いからやってみようと。そういうところから、日本に行きたい海外の方々をつなぐ仕事ができたら、という思いで、ロシアでの事業を始めました。

– タイに始まり、ロシア、ポーランド、ASEAN等…事業を拡げていかれていますが、そもそもなぜ今の会社をやろうと思ったのですか?

もともと独立するつもりはありませんでした。タイに来たのは約6年半前で、当時はKDDIグループのmedibaという、スマホの会社の駐在員として来ました。当時は息子も生まれたばかりだったので、独立するつもりはありませんでした。

でも僕はもともと海外で仕事をしていこうと思っていたんです。15歳までアメリカにいて、高校、大学は日本にいましたが、大学時代はNGOやボランティアをずっとやっていました。バングラデシュの水道のない村にトイレを掘りに行ってセメントリンクを埋めたり、タイの山奥に物資を運んで子供たちに配ったりとか。そういうNGO活動もそうだし、バックパッカーとして3か月ぐらい東南アジアを回っていた時に、一番この辺り(タイ)が好きだなーと。

ボランティアというものに色々な限界を感じていたところだったので、その次に社会起業家というものをちょうど十数年前に大ブームで起き上がってきたところで、そういうところでインターンしてみたりとか。そういう中で、紆余曲折経て、普通の戦略コンサルタントとしてキャリアを始めたんですけれども、やはり海外、特にアジアでその地域の人々と一緒に暮らして生きて、国の発展に貢献して、日本人と現地の人、両方に貢献したいなと思っていたんです。

– ボランティアでもなく、一時的に現地で働くということでなく、現地に根差して働いていきたいと。

はい。赴任して仕事をする中で、仕事自体はその時の要因でうまくいってないこともあったんですけれども、「日本人として海外で現地の人と仕事をする」というところに自分のバリューを発揮できるというか。たぶん、東京で普通にいち日本人として仕事をしたり、アメリカとかに行って完全に現地の人として、日本人というアイデンティティをすっかりなくして仕事するとかっていうよりも、「日本人として海外で働く」という形が一番周りの人にとって意味のある人生にできるんじゃないかと思ったので、一旦会社辞めることにしました。

そこで、引き続きタイで挑戦をしたいなと思ったんですが、6年前だとIT系の企業は楽天さんやアドウェイズさんなど数えるぐらいしかなかったので、転職の道はないし、留学する目的もない。でも日本に帰るのも何か違う…となると、独立するしかないな、という消去法的な理由です。あとは、「まあ、いけっかな?」みたいな勢いと勘違いで(笑)。「スマホすごく広がってるし、タイで伸びそうだし、日本の知恵とお金と技術を持ってきたら、自分でも役に立つんじゃないかな」っていう、かなり安易なもので踏み出したっていうのが正直ありますね。安易過ぎたんでその後5年ぐらい辛酸舐め続けてきたんですが(笑)。

– 辛酸を舐め続けてきた越さんですが、海外で起業してみて特に大変だったことは何ですか?

当たり前ですが、本当に「簡単じゃない」っていうことです。「どう簡単じゃないんだ」というのは、特にタイなど、言葉の通じない国で自分の本領が発揮できない中で仕事をすることの難しさです。「タイで何が一番難しいですか?外資規制?マーケティング?開発?」とよく聞かれるんですけれども、一言でいうと組織作りが一番難しい

– 組織作りが難しいのですか?

はい。タイ人は本当にすぐ辞めるんですよ。以前、3人採用したいというITの会社さんがあったんですね。結構頑張って面接して、この3人だって決めて、入社して、やっと揃ったんでこれでスタートします、と言われた次の日に「越さん、3人目が辞めるって言いだしました。」と。まあまあ、一日で辞めるというのは、タイではよくあります。と思ったら、週明けに、「越さん、もう一人も辞めるって言いだしました!なんなんですかここは!」って感じで。

タイ人の方々の特性として、非常に自分に素直に生きているので、我慢しない。無理しない。合わないと思ったらすぐに辞める、って言うところがありまして。それはそれでひとつの文化として理解、受け入れるものだなと経営している身としては思うんですけれども。うちも人が辞めていって、なかなか定着しなくて苦労しました。

そうすると、なかなか人が育たないので組織の力が付いて行かないんですよね。マーケティング、営業、総務、開発という風にファンクションを分けて、誰かが辞めたら次の人に引き継いでいくと、見た目にはそう見えるんですけれども。実際は営業のコネクションだったりとか、マーケティングで何がうまくいったから明日は何をする、とか。そういう蓄積って組織にとってものすごく大事じゃないですか。それがなかなか蓄積されない。

かつ、自分がネイティブで言葉を分かるわけではない。例えば、我々の事業の肝の一つは、タイ語でタイ人の応募者をたくさん集めてくるということなんです。日本語の話せる人材を集めるといっても、日本語でマーケティングするわけではないので。タイ語で、それこそ※N3、N4、N5とか、まだ勉強中ですという方は、日本語でマーケティングしたって集められません。そういう方々が来るように、タイ人のチームが、マーケティングは…コンテンツマーケットは…SNSの使い方は…と試行錯誤しながら一緒にやっていくわけなんですね。でも、タイ人チームの日本語もパーフェクトでない。うちは一番日本語を喋れる人でもN3くらい。N2、N1の人を雇ってもすぐに辞めてしまいます。N4くらいだと、コミュニケーションという意味では、日本語ではちゃんとした意思疎通はほとんどできません。簡単なやり取りくらいなので。じゃあ英語でやりとりしようとしても、英語がパーフェクトに喋れる人だけにしぼると人材が限られてしまいます。英語か日本語のどちらかでコミュニケーションできれば、僕もタイ語を勉強しているので、その三言語を使ってなんとか意思疎通が図れます。そうやってチームを作っています。でも普通に話すだけではこちらの意図の半分も伝わらないので、2倍3倍ぐらいに言葉を伝えるし、絵も描くし、文章にも起こすし、何倍も手間をかけます。それで日本人みたいに1を言ったら10やってくれるかといえば、そうではない。1をやって2をやろうと思ったらそこで止まっている。連絡がないので見に入ったら、「2はやりました」と。「じゃあ、3やろうか」と。4、5をやったと思ったらまた止まっている、というようなことをず~っとやっていかなきゃならないので…。

※N3:日本語能力検定試験のレベルを指す。N1からN5まであり、N1はネイティブレベルの日本語能力を示しており、数値が高くなればなるほど、能力が低くなる。

そこの組織を作っていくっていうところが、本当に「※飛車角落ちで勝負している気分です」とよく言うんですけれども。日本で、日本人相手に商売をして、日本人から金を集めて…っていうのをやっていたらどんだけ楽だろう、っていうのは本当によく思います。それはやっぱり、英語圏とか日本とは随分違うところですね。

※飛車角落ち:中心的な戦力となるものを欠いて勝負に臨むこと

– 6年間、海外で事業をされてきて、ここ数年で越さん自身の考え方が変わったことはありますか?

少しずつ自分の理解が進んだと言うか。「自分の不得意な事をいかに人にしてもらうか、そのために必要なものは何か、まず何を集めてくるのか」という部分が少し分かるようになってきたかなと思います。

具体的に言うと、独立してから会社を作るまでに6か月ぐらいかかったんですけども、最初に会社を作った時にタイ人の起業家仲間が投資して応援してくれるっていうことを言ってくれて。じゃあ会社作ってこのプランで実行しますと。半年後に日本人の投資家からもご支援を頂いて、会社を始めました。

その最初の2回で集めたお金が、だいたい2年ぐらいでほぼ尽きてしまったんですね。全然稼ぐ力がありませんでした。でも辞めるわけにはいかないし、ここからなんとか生き返って事業を作っていかなきゃならない。そこで、まさに立ち上げたのがWakuWaku (Job Fair)だったんですけれども。それでなんとか食える程にはなってきて、去年の12月に、4期目で初めて通期で黒字にはなったんですけれども…。本当にずっと、ずぅぅぅっと、もう潰れそうな状況を行ったり来たりしながら、給料日通りに自分の給料が払えないことはしょっちゅうでしたし。自分のお金を会社に入れないとキャッシュが回らなかったりとか。もう会社が潰れるわ…という瞬間が年に4回ぐらいあったり。3日で1か月分の売り上げが稼げなかったら会社潰すしかない、みたいなこともありました。

– ものすごいプレッシャーですね。私だったら逃げ出してます。

まあそれはそれで、必死に生きてきて大事なことをたくさん学んだので、それは良かったんですけれども。ただそれだけ苦労した原因の一つとして、自分の不得意なことも含めて色々やっていたためになかなか成果が出づらかった、というのがあると思っています。

今年、たまたまご縁があって、ロシアの事業絡みなどで資金調達を4年ぶりにすることができたんですね。それまではビジネスサイドに日本人って自分しかいなかったんですけれども、その時に初めて日本人の同僚に入ってもらいました。実はその瞬間に僕の8割方の仕事がなくなったんです。僕は資料作りとか、計画作成とか、ビジュアル化とかが不得意で、資金調達の資料制作とか本当に向いてないんですけれども…。そういうものがバーっとなくなりました。本当、得意な人がやるとあっという間に終わるんですよね。提携でこちらから提案書待ちとかのもの、半年から1年ぐらいでやろうと思っていたものが3か月ぐらいでバンバン進んで。「え?もうこれ考えるの?」っていう。ひたすら自分の仕事が変わっていきました。もちろん今も続けているものもありますが、タイ人のチームもすごく自走してやってくれるようになってきて。やっぱり、自分が得意じゃないことをいかに人にやってもらうか。ただ「自分より優秀な人を雇う」というのは経営でよく言われる話なんですね。でもそれはお金があって初めてできる話で。お金を最初どんな形でも用意してきて、必要な人と事業を作っていく。そういったところが、僕の場合は、事業の次のフェーズに入るために必要なことだったと、今になって思います。

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